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閃光のハサウェイ キルケーの魔女 IMAXレーザーで見る

そりゃ見るだろうと

先週、いろいろと状況と事情が重なって、突破的に閃光のハサウェイの2作目、キルケーの魔女をIMAXレーザーで視聴してきました。
原作を見たのが、上巻が刊行された年なので1989年2月でした。
というか、思えばこの1989年とが奇しくも1月8日に平成になった年です。
この本は昭和の終わり、平成になったタイミングで発売されたんですよね。
さらに言えば、その後の世界情勢と言えば6月に天安門事件、11月にベルリンの壁崩壊。
12月には米ソ冷戦が終結と、社会主義体制の崩壊の年です。

日本はと言えば、バブル景気の絶頂期なわけですが、前の年に発覚した汚職事件(リクルート事件)の影響で首相が退陣したり、そんなタイミングで消費税が導入されたりしたわけです。
これがいわゆる失われた10年、さらにはあの政権にスイッチしてさらドツボった、失われた20年の引き金にもなったターニングの時期だったりもします。

激動ですね。

とはいえ、当時のおっさんは、思春期真っ盛りでクソガキ全開の明日はどっちだ状態でした。

迷走だけは、時代にリンクしてましたね。

中間、下巻はほぼ、一年後に発売されたわけで、題材も含めて考えるとなんつーか、そんな世の中わかってないクソガキでも当時、因縁めいたものを感じたものです。
今にして思うと、偶然にしても業が深くなってしまった作品だなぁ、とそう思わざる得ない心境です。
正直、富野先生にとってはかなりの偶然だったんでしょうけど。

1作目もそうだけど、やっぱり原作とは違うなぁと思う次第

閃光のハサウェイは逆襲のシャアの12年後が舞台になるわけですが、すでに公式でも宣言していることですが、原作小説は小説作品である逆襲のシャア ベルトーチカチルドレンの12年後。
今回の映画は、映画作品である逆襲のシャアの12年後という違いがあります。

正直、個人的にはこの差でここまでキャラクターの解像度が変わるのか、と驚きです。
実は手元に当時買ったスニーカー文庫はもうありません。
映画見ながら当時の記憶が蘇るって感じです。新装版を買おうか迷ってます。

むしろ、最初に読んだ当時は、めちゃくちゃ内容が苦痛だった覚えがあります。
読了はしたものの、これまでの戦争とは一戦を画した、テロリズムという手段と大義という免罪符だったり、そういうのが結構、気持ち悪かった覚えがあります。

あとそも、クエス・パラヤというキャラクターがどうも好きになれず、ギギというキャラクターも、そのクェスがシャアやアムロに会ってないと、きっとこうなったんだろうな… とか考えると、痛みが先に立つ作品でした。

自分も未熟だったんでしょうけど。
さらに、ラストはコテンパンに救いが無く、父親であるブライトのことがその後の作品でも一切触れられないというあの流れに読んだものの、地獄でござるというちょっとお辛い感じでした。

当時はその後に、ガイア・ギアという黒歴史がお出しされたんで、なんとなくの腹落ちをした覚えがあります。まあ、もう、なかったことになってるけどね。

違いをどう感じた

正直、キルケーの魔女の演出を見て、ハサウェイ・ノアという人物の解像度がめちゃくちゃはっきりしたというのが率直な感想です。
小説原作と根本的にトラウマが違っているのが、映画との差が決定的だったと考えます。

原作のハサウェイは、自分で好きな子を殺したことを引きずって、壊れて、世の中が悪いという論法なんだなと思いました。
そもそも、その動機が女々しいインテリを感じさせて、キャラクターが好きになれなかったですよね。

映画の場合、5年前の1作目は、どっちかというとギギという少女がクェスっぽいけど、クェスとは違うという感じ方をして、ハサウェイもそっちの違いで引っ張られ方が違うなぁという感想だったんですが、キルケーの魔女を見て、映画のギギは雰囲気は似てるが、がクェスとはまるで違うという確信を持ちました。

さらに、映画版の逆襲のシャアの続きという流れでの、原作とは違う決定的なトラウマの違いを見せつけられてどうして、壊れたたのかの説得力が段違いで、パワーアップしやがったとというのが率直な感想です。

映画では、クェスは根本的な罪悪でも、トラウマでもなく、あくまでも逃げるための存在なんですよね。
逆襲のシャアでの違いで、クェスの存在自体は傷であっても、世の中への不条理によくわからん、怒りを溜め込んで自滅行動に走る原因でも要因でもなく、健全ではないにしろハサウェイ自身が自分の心を守るための存在にしていると感じました。

1作目でもアムロが語りかけてくるシーンが、オリジナルとして追加されてますが、あれがさらに効いてくる。

それに、原作と違うMSがお出しされているわけで、話の流れの違いによってそれが、トラウマの根本的な違いにをより深堀っていきます。

手を下した相手が違ったこと、明確な人殺しを裁かれなかったこと、自分自身が特権の中で生きていること。
それにやっぱり、ブライトの血を引いてることもデカイ。

アムロは結局は、職業として軍人やめれなかっただけで、シャアとの因縁はあっても義務的にパイロットやっていて、最後の方はかなり冷めて、引いた目で世の中を傍観していたクサイところがあると思うんですが、ハサウェイは若さもあるし、生来のクソ真面目な気質もあって使命感に燃えてしまうんでしょうなぁ。

しかも、当時と違って間にユニコーン挟んで、ラプラス事変があっての世の中なので、当時の原作世界よりも連邦の腐りっぷりがよくわかります。

で、ハサウェイ本人はと言えば、そのクソ真面目がアダになって、やってることはシャアの思想で動きます。
でも、遂行な目的に酔っていても、テロが戦争よりも悪辣だと自覚しているが故に、心の中のあがれの人が説教しにくるという皮肉。

あと、設定資料でちらっと見かけたんですがハサウェイのノーマルスーツは特別性でNTの感応を外から遮断する機能があらしいんですが、そこを知ってるとギギとの再会シーンでのギギのセリフと、お互いの表情がグッとくるものがあります。

あと音楽がいちいち、卑怯だわ。
まさかの、ガンズ・アンド・ローゼスのSweet Child O’ Mineとは…。

めちゃくちゃ久々に聴いた上で、あの入り方はおっさん世代は直撃するし、知らない世代でもギターのリフがエモすぎるでしょう。

ぜひ、映画館のでかいスクリーンと良い音で効いて体験してほしいです。

あわせてこれは見てほしいー カイ・シデンのメモリー

ちょうど、宇宙世紀105年のマフティー動乱の頃に、サイド3で行われる一年戦争展のWB展にアドバイザーとして招かれたジャーナリストのカイ・シデンが一年戦争の回想と、過去のシリーズにも登場したキャラクターとのその時代に関する会話が展開します。

アムロやブライトと近しい、カイさんが、やっぱりちょっと達観した立場から、直接でないにせよ、それでもダメな時代に一言物申さずにはいられない姿が見れます。

ぜひ合わせてご覧あれ。